ピンクシティ、ジャイプールへ
アーグラから夜行寝台列車でラジャスターン州のジャイプールへ向かった。
僕が予約した列車が運行キャンセルになったため、駅員に頼み込んで別の列車に乗せてもらった。
インドの列車の座席にはグレードがあり、僕は2段ベッドの上段を予約したが、予約変更をした際に最も下のグレードに割り振られた。
乗り込むと、夜行列車にも関わらずインド人がギシギシに詰め込まれていた。
まるで平日朝の総武線各駅停車のようだった。
これで5時間は耐えかねない、しかも寝たい。
そう思った僕はその車両を後にし、列車の連結部で夜を明かすことにした。
1時間ほど揺られていると、インド人の若者グループが声をかけてきた。
どこから来た、どこに行く、日本の写真を見せてくれ。
それらの質問や要望に応えていると、一人の青年が「オレのベッド使っていいよ」と言ってきた。
決して見た目も良くはないグループだし、ここはインドである。断ろうとしたが、睡魔には勝てなかった。
横になるとすぐに眠りに落ちた。
突然、体を揺り起こされた。「ユーの降りる駅だよ!!」
とっさに財布、パスポート、携帯を確認した。
全部ある。
少しでも疑ってしまって申し訳ない。
太宰治「走れメロス」におけるセリヌンティウスのようなことを考えながら真夜中のジャイプール駅に降り立った。
ピンクシティとご対面
到着した夜は、のべ4件のホテルやゲストハウスに断られ、1時間さまよった結果、一泊6000円(インドならば高級といえる)のホテルの仮眠中のスタッフをたたき起こしてチェックインした。
一泊6000円のホテルで6時間の睡眠をとり(一時間1000円の睡眠だね)早速ピンクシティと云われている所以を確かめに行った。
リキシャ―を一日チャーターして、王宮等の観光地をぶらぶらした。
楽しく観光して予約したホテルに帰ろうとすると、運転手が勝負を仕掛けてきた。
「なあフレンド、俺ら一日一緒にいたんだし友達だろ?俺んち来ないか?」
今までおとなしいと思っていた彼だが、パワーフレーズをぶち込んできた。
「行かない」
僕は早く寝たかった。そうでなくとも行くもんか。
「来いよ。フレンド」
「行かない」
「悲しいこと言うなよフレンド、来いよ」
「行かない」
こんなやり取りを10分ほど続けると、ついに僕はしびれを切らした。
こっちもパワーワードをぶち込むぜ。
「まだこのやり取り続けるなら、俺は走って逃げるぞ。一日分のチャーター代も払わないよ。嫌ならとっととホテルに向かってくれや。ちなみに俺は足が速い」
最後に不必要な自慢をすると、運転手はうなだれてホテルに向けて運転を再開した。
その姿があまりにもかわいそうだったので、僕の好物のラッシー屋さんによってもらい、ラッシーを一杯御馳走した。
余計なことばっか書いていてピンクの景色を載せてなかったね。ピンクシティというのは決して破廉恥な意味ではないよ。
ジャイプール編はこれで終了の予定でしたが、意外と書くことが多かったので、次回もジャイプール編をお送りします。
その後はもう一度デリー編。