甘い誘惑
大学4年の9月、ヨーロッパ旅が終わり経済的に瀕死状態だった僕に友人の久住という男がなんとも魅力的な提案をしてきた。
「10月バニラエアで北海道1万円(曖昧な記憶)だよ。行こうよ」
どうやらANA系列の格安航空会社バニラエアが時々行うセールの話をしているようだ。
専ら海外旅専門の僕(当時まで国内旅行の経験は大学2年時の沖縄のみだった)にとって悪い話ではない。
うん、北海道いいね。すすきののニッカの看板の前でブラックニッカの瓶を空けよう。
セールの概要を確認するためにバニラエアのサイトを覗くと多くの路線でセールを行っており、その中には国際線も含まれていた。心が揺れ始める。
「台湾(台北)往復1万2千円!!」
1万円の北海道と1万2千円の台湾。留学以来久しぶりの中華圏。小籠包。チャイナドレス。
天秤にかけてみた。北海道は飛んで行った。
久住はタピオカフリークなので台湾行きに快諾した。
男子大学生二人で行く台湾。なんてステレオタイプで平和な旅行なんだ。
台北グルメ第一弾
台湾へのフライトは一瞬だ。直前にヨーロッパを旅していた僕にとって、成田ー台北間は京王線の新宿ー八王子間と同じぐらいの体感だった。
到着は深夜だったので翌日に故宮博物館を見学した後は今回の旅のメインである台湾グルメ第一弾に舌鼓を打つことにした。
チョイスしたのは故宮博物館前の通りにある食堂。牛肉麺と臭豆腐をオーダー。
どちらも食べられないこともなかったが美味しくはなかった。
台湾に来たからには臭豆腐を食べようと提案した僕に対して久住は断固拒否。
今回ばかりは彼の正解だったかもしれない。
出されたものは完食するというザ・昭和的ルールを未だに破れない僕は一人で臭豆腐を完食し、「臭ゑがぺろ」を完成させてしまった。
夜市での悲劇
台湾といえば夜市。士林夜市をはじめとする有名な夜市が多くあるが、手始めにホテルの近くにある寧夏夜市で食事をすることにした。
あいにくの雨天だったが昼飯のチョイスにやや失敗した僕達は血眼で満足するグルメを探した。その行動が悲劇を生む。
前を歩いていた久住が停止した。どうしたことか。なんと彼のオリンパス製のミラーレスカメラが動かないという。
雨にやられてしまったようだ。
屋根の下で立ち止まり復旧を試みるもなす術無し。彼のカメラは享年2歳前後と短い生涯を台湾の夜市で終えた。
さて、僕にも復旧をさせなければいけないものがある。カメラの持ち主のテンションだ。
この時の彼はリーマンショック後の日経平均株価のごとく落ち込んでいた。まだ4日ほど日程が残っている。氷河期になっては僕としてもたまったもんじゃない。
僕は彼にビールを買い与えたが、全然飲んでくれない。ペットがエサを食べてくれない焦燥と苛立ちに似たものを感じた。
場を盛り上げるために、豚の内臓の盛り合わせを購入。
しかし明らかに食べきれない量でしかも冷たかった。そして美味しくはない。
僕も近年の日本国内の出生率並みに落ち込んだ。
見るも無残な二人に一筋の希望の光が射す。
空芯菜炒めだ。僕は空芯菜が大好きだ。世界一大好きだ。
世界が滅亡するか、僕が一生空芯菜炒めを食べられないかという選択を迫られたら申し訳ないが僕は空芯菜炒めを選ぶ。
さよなら世界。
夜市に響き渡る空芯菜を炒める音。それだけでビールが一缶空きそうだ。
日経平均株価の久住をよそに僕は空芯菜炒めに食らいつく。
出生率はもはやV字回復。少子化ってなんですか??学校が足りないよ〜。
僕があまりに喜んで食べるので店の人もニコニコしてこちらを見ている。
しかしそんなことは関係ない。
そこには久住も、壊れたカメラも、日経平均株価も無いのだ、空芯菜炒めと僕が真剣に向き合っている。
それを見守る台湾ビール。あゝ。台湾最高。