須藤という男
本題に入る前にフィリピン編での重要人物となる須藤という男について紹介しよう。
僕の高校時代からの友人で、彼ともまたサッカー部で出会った。
3年間何かと行動を共にすることが多く、同じ日にサッカー部に退部届けを提出し男子ソフトボールに転向した。
また、僕の旅狂いの原点となる「千葉からママチャリでどこまで行けるか企画」の共謀者の一人でもある。共にママチャリで富士山登頂や東北地方到達を成し遂げた。
大学受験の際には二人で早稲田大学を受験したが見事に二人とも不合格。
明治大学入学後の須藤は留学や中高生向け英語教室での講師活動などを精力的に行っていた。
始まりの場所は御茶ノ水
時を遡ること2017年の初夏、僕は明治大学御茶ノ水キャンパスの23F食堂にいた。
やはりここは何度来ても眺めが良い。須藤に呼び出されてここに来た。なんでも僕に相談したいことがあるらしい。
「トビタテ!留学JAPAN」をご存知だろうか。
文部科学省が主催する奨学金コンペだ。留学を希望する学生が留学によりどのように日本に還元できるかをプレゼンし出資を募る。留学版「マネーの虎」といったところだろうか。
その日は須藤がそれに挑戦するため、資料の文章校正を頼まれた。どうやら彼は僕を文章力に長けている人間と認識しているらしい。口元が緩む。
ざっと資料を読んでみると、フィリピンはセブ島のバリリという村で日本語学校を開くプロジェクトのようだ。
普段は須藤が自身で日本語の授業を行うが、時々バリリを訪れた日本人ゲストを講師として招き、日本の文化や日本語についてプレゼンをしてもらう。
フィリピン人にとっては日本語を学び、フィリピンより賃金の高い日本で働くキッカケを作る機会となる。日本人ゲストにとっては異国の地での生活体験やプレゼン能力の向上、授業を組み立てる構成力の訓練となり、日本社会にとっては日本語を学んだフィリピン人が社会経済の担い手となり、昨今の人手不足に喘ぐ日本社会に手を差し伸べてくれるという三方良しのプロジェクトだ。
僕は話を聞いておもしろそうだと思い、簡単な文章校正をした。
3ヶ月後に須藤から知らされた結果は見事通過。無事に彼は出資を受けフィリピンでの挑戦の切符を手にした。それと同時に僕もフィリピンに行く約束をした。
僕のフィリピン旅はこうして始まった。
実際にフィピンの地を踏んだのはこの日の約1年半後の2018年11月のことである。
現地入り
フィリピン時間の18:30、僕と佐藤はセブ・マクタン空港に降り立った。
褐色の肌をした須藤がTシャツ姿で僕らを出迎えた。
登場人物が多くて申し訳ないが、「スドウ」の元に「サトウ」と向かったのだ。佐藤も高校時代の友人であるが、彼は今回の記事ではそれほど活躍しないので紹介は控えておこう。
須藤の活動の拠点となっているのはセブ島の中心街からバスで3〜4時間の「バリリ」という村だが、到着が遅くなったその日はセブ・シティ内に須藤が借りている家に宿泊し、翌朝バリリに向かうことにした。
フィリピンでの生活が始まった。