旅する意味ってなんですか
世の中の普遍化・均一化が進んでいる。47都道府県の特産物は東京のアンテナショップやデパ地下なんかでいつでも買える。
ネットを使えば世界中の商品が買えるし、色んな景色だって見ることができる。
多くの国の中心地では高層ビルの隙間をトヨタ車が走っている。本当に便利になったと思うし、僕だって死ぬ程恩恵を受けている。けどね、なんだかすごく悲しい気持ちも同居してる。自称旅人の僕が旅する意味って何?ネットや絵葉書で見た景色の確認作業?
家の中にいても旅同然の事はできる。VRゴーグルを着けて観光地を歩いた気分になり、楽天やアマゾンでその土地の特産物を事前に購入してその景色を見ながら食べる。
実際に行かなきゃわからない事ってなんだろう。味わえないものってなんだろう。
もちろん、実際に行かなきゃ体験できないことだって山ほどある。
こういう時代だからこそ、テーマや目的を持って旅するって大切かもと最近ふと考えた。
そんなわけで今回はオーストラリア最終回、メルボルンでの個人行動について綴る。
書き出しで旅の目的は〜なんて書いてたが早速この時はノープランでフラフラ歩き回っていただけだ。
だけど、全く知らないこととか、見たことないものを発見できたし、実際にメルボルンに来なきゃできないな!って事もやった。あれ、旅に目的なんて、いらないのかな?
徘徊故の行為
4人で来ているのに個人行動?と思われるかもしれないが、結局は一人の時間が皆必要なのだ。それぞれ興味がある所に出かけ、夜に土産話をしながら酒を飲む。最高じゃないか。
まず僕はメルボルン州立図書館に行った。
このまま写真を撮って帰っては、それこそ「景色の確認作業」になってしまう。僕は日本から持ってきた伊坂幸太郎の小説、「フィッシュストーリー」を1時間ほど読んだ。あれ、ここでしかできないことしてる!
ストリートアート
日本ではあまり目にしなくなったストリートアートを観に行ってみた。
昔はトンネルやら地下通路など至るところに見られたが、最近はそれが地域の子ども達が描いたメッセージ性皆無の下手くそな絵に挿げ替えられている。まあ、治安的にはその方が良いかもしれないが・・・・・・
このエリアにはストリートアートが密集していて観光客もそれなりにいるが、明らかにキマっている人たちもそれなりの数見かけた。なるほど、日本からストリートアートが姿を消しつつあることにも納得かな・・・・・・
夕方にはゼミのメンバーと合流し、ホテル近くのファストフード店で買った酒とチキンで最後の晩餐を愉しみ、翌朝の便で帰国した。
こうして、台湾ーフィリピンーオーストラリアと連続した旅(しかも都度日本に帰国!)を終え、ようやく日本でのスローライフに戻ることができた。
今思い出してもこの2ヶ月弱は年度末の税務署のように慌しかったが、毎日輪ゴムで皮膚をパチンと叩かれるぐらいの刺激があった。もう一度こうした期間を過ごしてみたいかと聞かれれば、答えはYesだ。